西川材の振興
西川材とは
西川材は、埼玉県西部を流れる入間川や高麗川などの流域で生産される木材で、そのほとんどが、飯能の山々から産出されてきました。西川材は、飯能の特産品として、まちの発展に大きく寄与し、飯能の歴史や文化は西川材抜きに語ることはできません。
ところで、この地域には「西川」という地名はありません。
かつてこの地の山々から伐り出された木材は、筏に組んで川を流して江戸(東京)まで出荷していました。江戸から見て、西の川から流されてくる木材であることから、西川材と呼ばれるようになったといわれています。
写真提供:飯能市博物館
筏流しが、いつから行われていたかは不明です。江戸幕府開府以降、町づくりや度重なる江戸の大火の復興のために、江戸時代初期から木材を送っていたといわれていますが、盛んになったのは江戸時代の中頃からです。明治時代になっても、筏流しはますます盛んで、その出荷量は「西川十万石(二七八〇〇㎥)」と呼ばれていたそうです。
入間川では、上流から飯能河原までを「山川(やまっかわ)」、飯能から荒川合流付近までを「下川(しもっかわ)」、荒川本流を「大川(おおかわ)」と呼んで区分していました。「山川」から江戸の千住までは、通常ならおよそ五日の行程でした。千住まで流すことが多かったのですが、その先の本所や深川まで流す場合もありました。
1915(大正四)年に武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が開通すると鉄道による木材輸送が始まり、また、道路が整備され、山方から飯能まではトラックで木材運搬が行われるようになると、筏流しは減少し、大正末から昭和初め頃を境に完全に姿を消したといわれています。
新商工会館について
2020年4月に竣工した新商工会館は、西川材振興の拠点として重要な役割を担っています。
西川材純木工建築のモデルとしてだけでなく、飯能市の新たなランドマークとして、商工業、観光、西川材、木材の生産地としてメッセージを発信します。
■ 新商工会館の紹介のページで詳細を見る
筏うどん
江戸中期をピークに入間川や高麗川の流域で生産した木材を筏(いかだ)に組んで江戸へ流した西川材の歴史と、飯能を含む武蔵野地域の名物でもある「うどん」を結び付けた「筏うどん」。
ミニチュアの西川桧で組んだミニチュアの筏、川面をイメージしたブルーに発色した釉薬がきれいな「飯能焼き」の器。食べて喜(よし)、見て喜(よし)の新たな食の提案です。
写真提供:飯能グリーンカントリークラブ
筏うどんの定義
- 飯能焼きの器(皿)を使用すること
- 器の上に西川材製(ヒノキ)ミニチュア筏を使用すること
- その上に「うどん」を盛り付けること
- 天ぷらなどの副食をつけること
- 西川材並びに筏流しの歴史を紹介したチラシを配布すること
■ 筏うどんチラシのダウンロードはこちら(PDF:490KB)
食せるところ
現在、飯能市内で「筏うどん」を食せるお店は以下の店舗となります。
詳しくは、各店にお問い合わせください。
※季節メニューの場合がございます。事前に各店舗へお問い合わせください。
西川材フェアー
毎年11月に飯能市役所の駐車場にて開催される、「木育」をテーマにしたイベントです。
同日開催のはんのう生活祭(事務局:飯能市役所)と約10,000人の方に会場にお越しいただいています。
■ 西川材フェアーのページで詳細を見る
「西川材の振興」に関するお問い合わせ先
お問い合わせ先:西川材活用振興担当
TEL:042-974-3111